怪盗コウモリ男

街では奇妙な窃盗事件が相次いでいた。

美術館からは数千万円もする名画が消え、資産家の屋敷からは先祖代々伝わる宝石が盗まれた。厳重な警備を誇る銀行の金庫でさえ、被害に遭っていた。

いずれの事件にも共通する特徴があった。

現場には必ず一枚の黒いカードが残されるのだ。

カードには銀色の文字で、こう書かれていた。

「コウモリ男参上」

犯人が自ら名乗ったその名前を、新聞やテレビが面白おかしく取り上げたことから、いつしか世間では「怪盗コウモリ男」と呼ばれるようになった。

コウモリ男がどうやって厳重な警備を突破しているのか、警察にはまったく見当がつかなかった。

防犯カメラには不審者の姿が映っておらず、窓にも扉にもこじ開けた形跡がない。犯行の手口は、どこか手品のようでもあった。

しかも、盗まれるのは高価な美術品や宝石ばかりで、現金には一切手をつけない。

「金目当てなら、もっと簡単なものを盗めばいいのに」

ある刑事がそうつぶやくと、ベテランの山田刑事は苦々しい顔で答えた。

「こいつは盗むことそのものを楽しんでいるんだ。俺たち警察をからかっているのさ」

 * * *

ある日の朝、警察署に一通の封筒が届いた。

中には、例の黒いカードが入っていた。

『明日、ABC宝石店のピンクダイヤをいただく。 コウモリ男』

山田刑事はカードを机に叩きつけた。

「とうとう犯行予告を送りつけてきやがった!」

ABC宝石店は街の中心部にある老舗の宝石店だった。

予告されたピンクダイヤは、数年前に海外のオークションで落札された希少な宝石で、その価値は一億円を超えるという。

現在は店の中央にある特別なショーケースに展示されていた。

 * * *

「今度こそ捕まえてやる。犯行予告までしてきたんだ。現場を押さえる絶好の機会じゃないか」

山田刑事の号令で、警察はさっそく警備計画を立てた。

ただし、大勢の警察官を店の周囲に配置すれば、コウモリ男に警戒されてしまう。

そこで、宝石店の向かいにあるマンションの一室を借り、そこから店内を監視することになった。

その部屋は二階にあり、宝石店の大きなガラス窓を正面から見下ろすことができた。

「ここなら店の中がよく見える。コウモリ男が現れたら、すぐに駆けつけられるぞ」

山田刑事は双眼鏡を覗きながら言った。

 * * *

宝石店が開店しても、なかなか客は現れなかった。

店内には同じ制服を着た三人の女性従業員がいたが、客がいないため、ショーケースを磨いたり、商品の並びを整えたりしていた。

午前十一時ごろ、ようやく一組の夫婦が店に入ってきた。

やがて夫婦は何も買わずに店を出ていった。

「今の二人はどうですかね?」

若い刑事が尋ねた。

「ただの客だろう。怪しいところはなかった」

従業員たちは相変わらず持ち場に立っていたが、することも尽きてきたのか、すでにきれいになっているショーケースをもう一度拭いたり、商品の位置をわずかに直したりしていた。

「暇そうですねえ」

若い刑事が双眼鏡を覗きながら言った。

「高級宝石店なんて、そうそう客が来るものじゃないんだろう」

山田刑事が答えた。

午後三時を過ぎたころ、一人の男が店に入ってきた。

男はショーケースを覗き込みながら、店内をゆっくりと歩き回っていた。

「あの男、怪しくありませんか?」

若い刑事が双眼鏡を覗いた。

「そうだな。何かを探しているようにも見える」

刑事たちは男の動きを注意深く見守った。

しかし、男は従業員としばらく話をしたあと、何も買わずに帰っていった。

それから閉店時間まで、怪しい人物が訪れることはなかった。

「結局、現れませんでしたね」

若い刑事が言った。

「いや、まだわからん」

山田刑事は腕を組んだ。

「むしろ、ここからが本番かもしれん。営業時間中は客も従業員もいる。盗みに入るなら、閉店後のほうが都合がいいだろう」

「なるほど。夜行性のコウモリらしいですね」

「冗談を言っている場合か。引き続き監視を続けるぞ」

刑事たちは気を引き締め直した。

 * * *

向かいの宝石店では、従業員が、ショーケースを点検したり、売上伝票を整理したりして、閉店作業を行っていた。

しばらくすると、二人が店を出てきた。もう一人は、まだカウンターで何か作業を続けていた。

「店員さんたちがこちらに来るようですね」

若い刑事が言った。

刑事たちは、閉店後に従業員から話を聞くため、張り込みをしているマンションの部屋まで来てもらうよう、あらかじめ店側に頼んでいたのである。

すぐに、部屋のドアがノックされた。

「ABC宝石店の者ですが」

「どうぞ、お入りください」

山田刑事が答えると、従業員たちが入ってきた。

「お疲れのところ、申し訳ありません。今日一日、何か変わったことはありませんでしたか?」

「いいえ、特には」

「怪しいお客様もいらっしゃいませんでしたね」

従業員たちは答えた。

「そうですか。それならいいのですが……」

山田刑事は手帳にメモを取った。

「ところで、もう一人の方はまだお店に残っているようですね。あの方にもお話を伺いたいのですが」

すると、二人の従業員は互いに顔を見合わせた。

「えっ? あの方は警察の方ですよね?」

「……え?」

「警察官だとバレないように、私たちと同じ制服を着て、従業員のふりをして、警備をしてくれていたんですよね?」

「な……何だと!」

山田刑事は椅子を蹴るように立ち上がった。

「そんな警察官は派遣していないぞ!」

女性たちは目を丸くした。

「えっ? だって、警察の方だって……」

その言葉を最後まで聞かず、山田刑事は窓に駆け寄り、監視をしていた部下から双眼鏡を奪い取った。

向かいの宝石店には、まだ明かりがついていた。

そして、店の中央には、制服を着た一人の女が立っていた。

女は誰もいない店内をゆっくり見回すと、中央のショーケースに歩み寄った。

そして、ポケットから鍵を取り出し、ショーケースを開けた。

中には、淡いピンク色に輝く大粒のダイヤモンドがあった。

女はそれをそっと持ち上げた。

「すぐに店へ向かえ!」

山田刑事が怒鳴ると、部下たちは一斉にドアへ走り出した。

山田刑事は窓際に残り、双眼鏡を覗き続けていた。

女は慌てる様子もなく、ピンクダイヤを小さな袋に収めた。

それから、一枚のカードをショーケースに置いた。

山田刑事は双眼鏡の向こうにある黒いカードの文字を、はっきりと読み取った。

そこには銀色の文字で、こう書かれていた。

「コウモリ男参上」