風と共に来ぬ

大学からの帰り道、アキコと並んで歩きながら、私はある違和感の正体を探していた。

何かが違う。けれど、何が違うのか、うまく説明できなかった。

アキコとは大学に入ってからの友達だ。

初めて話したのは、入学したばかりのころ。トイレでハンカチを忘れて困っていたアキコに、私が貸してあげたのがきっかけだった。

同じ学部で、履修している授業もほとんど同じ。昼休みには学食で一緒にご飯を食べ、空き時間にはカフェでくだらない話をする。

大学でいちばん親しい友達は誰かと聞かれたら、私は迷わずアキコの名前を挙げるだろう。

ただ、アキコには少し困ったところがあった。とにかく、うっかりしているのだ。

教室を間違える。課題の提出期限を忘れる。財布を持たずに学食へ来る。

「あれ、レポートって今日までだったっけ?」

「もう、アキコったら。また?」

そんな会話を、これまで何度繰り返したかわからない。

そのたびに私はノートを貸し、レポートを手伝い、ときには昼食代を立て替えた。

アキコは決まって、申し訳なさそうに眉を下げた。

「ほんと、いつもごめんね。私、あなたがいなかったら大学生活やっていけないかも」

そう言われると、悪い気はしなかった。

アキコは人懐っこくて、誰とでもすぐに仲良くなれる。私とは性格が正反対だったが、だからこそ気が合うのかもしれないと思っていた。

今日もアキコはいつもどおりだった。

私の隣に当たり前のように座り、スマホの画面を見せながら楽しそうに話しかけてきた。

何かを隠しているようにも、よそよそしくしているようにも見えなかった。

それなのに、私は何かが引っかかっていた。

おととい、初めてアキコの部屋に泊まったことが関係しているのかもしれない。

* * *

私は実家暮らしで、アキコは大学の近くで一人暮らしをしている。

以前から一人暮らしに憧れていた私は、ある日、アキコに頼んでみた。

「ねえ、今度アキコの家に泊まりに行ってもいい?」

「いいよ。狭いけど」

「やった。じゃあ、土曜日は?」

「うん、大丈夫」

そうして、おととい、私は初めてアキコの部屋に泊まった。

駅前のスーパーで食材を買い込み、二人で夕食を作った。

食後は翌週提出のレポートを一緒に片づけるつもりだったが、途中から大学の友達や先生の話になり、結局ほとんど進まなかった。

「先にお風呂入っていいよ」

アキコが言った。

「ありがとう」

「シャンプーとリンス、それ使って。ちょうど新しいのをおろしたの」

浴室には、シャンプーとリンスのボトルが並んでいた。ポンプのノズルがまだ上がっていなかった。

私はそれを回して引き上げ、何度か押して中身を出した。

ふわりと、青りんごの香りが広がった。

さっぱりとした、どこか甘い匂いだった。

私は髪が長い。シャンプーをするときには、いつも三、四プッシュほど使う。その夜も普段どおり、十分に泡立ててから洗い、丁寧に流して、リンスをした。

お風呂から上がると、今度はアキコが浴室へ向かった。

しばらくして戻ってきた彼女の髪からも、青りんごの香りがした。

「いい匂いだね、このシャンプー」

私が言うと、アキコは笑った。

「そう? よかった」

それだけの、何でもないやり取りだった。

翌朝も、私たちはいつもどおりだった。

一緒に朝食を食べ、テレビを眺めながら取り留めのない話をした。

アキコは終始、機嫌がよさそうだった。

私も楽しかった。

帰るころには、前よりもずっと親しくなれたような気さえしていた。

週末の二日間のどこにも、おかしなところなどなかった。

そのはずだった。

* * *

「ねえ、今日の最後の授業、眠くなかった?」

街路樹の続く歩道で、アキコが言った。

「うん。先生の話、途中で何回か意識飛びそうになった」

「だよね。私なんてほとんど寝ちゃった。ノート、後で見せてもらってもいい?」

「もう、アキコったら。しょうがないなあ」

アキコは楽しそうに笑った。

そのとき、風が吹いた。

アキコの髪がふわりと揺れた。

一瞬、甘い香りが鼻先をかすめた。

バラの香りだった。甘いのに重たくなく、すっと鼻を抜けていく上品な香り。

私は横を歩く彼女を見た。

「ん? どうしたの?」

「……ううん。なんでもない」

アキコは不思議そうに首をかしげたが、すぐに別の話を始めた。

* * *

アキコと別れ、電車に乗ってからも、おとといの夜の記憶と、さっき感じた香りが頭のなかで交錯していた。

新品のシャンプー。

青りんごの香り。

そして、あのバラの香り。

ひとつひとつは、何でもないことだった。

けれど、それらをつなぎ合わせたとき、嫌な結論を導いてしまう情報を、私は持っていた。

以前、アキコとヘアケアの話になったことがある。

彼女は髪の手入れにこだわっていて、シャンプーだけは絶対に妥協しないのだと言っていた。

彼女が使っているというシャンプーの公式サイトを見せてもらったとき、私は驚いた。

一万五千円。

それも、少ししか入っていない小さなボトルだった。

「そんな高いの使ってるの?」

「うん。でも、すごくいいんだよ。バラの香りがしてね。髪もさらさらになるし」

大切な宝物について話すような口調だった。

今になって、それが妙にはっきりと思い出された。

そのバラの香りこそ、さっき感じた、いつものアキコの髪の香りだった。

私は、その記憶と、おとといの出来事を結びつけないようにした。

けれど、考えないようにすればするほど、それらの情報がひとつにつながっていった。

アキコは私が泊まりに来ると決まってから、ドラッグストアで安いシャンプーとリンスを買っておいたのだ。

私にお気に入りのシャンプーを大量に使われないように。

さらに、私に気づかれないように、その晩だけ自分も同じものを使った。

二人の髪から同じ匂いがしていれば、私が疑問を持つこともない。

そして、私が帰ったあとで、いつもの高級シャンプーに戻した。

そう考えれば、すべて辻褄が合った。

同時に、別の記憶がよみがえってきた。

「あれ、レポートの提出、明日までだったっけ?」
「財布、忘れちゃった」
「私、あなたがいなかったら大学生活やっていけない」

何度も繰り返された、あの言葉。

私はずっと、アキコは少し抜けていて、要領の悪い子なのだと思っていた。

しかし、そうではなかった。

自分の大切なシャンプーを守るためなら、客が来る前に別のものを買っておくことができる。

自分だけ違うものを使えば不自然だと考え、その晩だけ使い分けることまでできる。

けれど、大学ではそんな一面を見せなかった。抜けているふりをしておけば、面倒なことを私がやってくれるからだ。

そして、私がどれだけ世話を焼いても、それを当然のこととして受け取っていた。

アキコにとって私の善意は、惜しげもなく使える安物だったのだ。

私は窓に映る惨めな自分の顔を、ぼんやりと眺めていた。

電車が大きく揺れた。

そのとき、自分の髪から、もう残っているはずのない青りんごの香りが漂った気がした。