メニューの多い料理店

商店街の外れに、「メニューの多い料理店」という変わった名前のレストランがあった。

開店してまだ半年ほどだが、ちょっとした評判になっていた。何しろ、その店では世界中のあらゆる料理が食べられるというのだ。

和食、洋食、中華はもちろん、インド料理やタイ料理、名前も聞いたことのないような外国の郷土料理まで揃っているらしい。

店の料理長は、どんな注文にも応えられると豪語していた。

そんな噂を聞きつけ、ある日曜日、三人の家族が店を訪れた。

父親と母親、それに高校生の息子である。

店内は意外にも普通のレストランだった。木製のテーブルが並び、壁には風景画が飾られている。特定の国の料理を売りにしているような内装ではない。

席に案内された三人は、店員からメニューを渡された。

その分厚さに、息子は思わず声を上げた。

「これ、電話帳みたいだな」

メニューには料理がずらりと並んでいた。寿司、天ぷら、うな重、ハンバーグ、ビーフシチュー、麻婆豆腐、北京ダック。ページをめくるたびに料理の国籍が変わっていく。

「本当にこれ、全部作れるのかしら」

母親が不思議そうにつぶやいた。

「まあ、注文してみればわかるだろう」

父親はそう言ってメニューを眺め、やがて寿司のページで手を止めた。

「よし、私は握り寿司にしよう」

「お父親さん、レストランに来てお寿司?」

「だからこそ面白いんじゃないか。本当に腕があるかどうか、寿司ならわかりそうだ」

母親はしばらく迷った末に、トマトソースのパスタを選んだ。

息子は二人の注文を聞いて、内心おかしくなった。

寿司とパスタ。どちらも珍しい料理ではないが、両方をきちんと出せる店となると、そう多くはない。

寿司職人とイタリア料理のシェフでは、必要な技術も道具もまるで違う。それを一つの厨房でこなすというのだから、なかなか大したものだ。

せっかくなら、もっと困らせてやろう。

息子はメニューをさらにめくった。

カレーやラーメンでもよかったが、それでは面白くない。寿司を握り、パスタを茹でているところへ、さらに別の調理を必要とするものを注文したかった。

そして、ある料理を見つけた。

「僕はトムヤムクンにする」

タイ料理の代表格である、酸味と辛味の効いたエビのスープだ。レモングラスやこぶみかんの葉など、普段の家庭料理ではあまり使わない香辛料や香草が必要になる。寿司やパスタのついでに作れるような料理ではないはずだ。

店員が注文を取りに来た。

「握り寿司と、トマトソースのパスタと、トムヤムクンですね」

「そうです。全部できますか?」

息子が少し挑戦的に尋ねると、店員はにこやかに答えた。

「もちろんです。当店では、メニューにあるものは何でもお出しできます」

店員は注文を控えると、厨房の奥へ消えていった。

息子は少し拍子抜けした。もっと困った顔をするかと思っていたのだ。

 * * *

それから十分ほど経ったころ、最初の料理が運ばれてきた。

父親の握り寿司だった。

大きな皿には、マグロ、タイ、エビ、イカなどが綺麗に並んでいる。ネタには艶があり、見るからに新鮮そうだ。

「ほう、これはなかなか」

父親はマグロを一貫口に入れた。

「うん、美味しい。シャリの加減もちょうどいい」

お世辞をあまり言わない父親がそう評価するのだから、本当に美味しいのだろう。

続いて、母親のパスタも運ばれてきた。

白い皿に盛られた麺から湯気が立ち上り、トマトとニンニクの香りが漂ってくる。上にはバジルの葉が添えられていた。

「こっちも美味しいわ。ちゃんとしたイタリア料理のお店みたい」

母親は嬉しそうにフォークを動かした。

息子は少し感心した。

和食とイタリア料理を同時に作り、しかも両方とも客を満足させている。この店の料理長は、噂どおりの腕前なのかもしれない。

それならトムヤムクンにも期待できそうだ。

しかし、肝心のトムヤムクンがなかなか運ばれてこなかった。

最初のうちは、息子も気にしていなかった。スープの準備には時間がかかるものだ。寿司やパスタより遅くなるのも仕方ないだろう。

ところが、父親が寿司を半分ほど食べ終えても、トムヤムクンは来なかった。

母親がパスタを食べ進めても、まだ来ない。

「ずいぶん時間がかかるのね」

母親が言った。

「エビを捕まえに行ってるんじゃないか?」

父親は冗談めかして答えた。

息子も最初は笑っていたが、だんだん落ち着かなくなってきた。

厨房の様子は客席から見えない。奥からは時折、食器の触れ合う音や、人の話し声が聞こえてくる。

もしかすると、料理長は本当に苦戦しているのかもしれない。

寿司とパスタまでは何とか作れたものの、トムヤムクンまで同時に注文されるとは思っていなかったのだろうか。

息子は少し申し訳ない気持ちになった。

そもそも彼はトムヤムクンが特別食べたかったわけではない。ただ、この店の実力を試してやろうという意地悪な気持ちで注文したのだ。

とはいえ、注文を受けたのは店のほうである。

メニューに載せている以上、きちんと出してもらわなければ困る。

 * * *

やがて父親が寿司を食べ終えた。

母親の皿にも、パスタがあと少ししか残っていない。

息子の前には、最初に出された水のグラスだけが置かれていた。

「さすがに遅すぎるんじゃないか」

父親が腕時計を見ながら言った。

息子は頷いて、近くを通りかかった店員を呼び止めた。

「すみません。注文したトムヤムクン、まだですか?」

店員は一瞬だけ表情を曇らせた。

「申し訳ございません。確認してまいります」

そう言って、足早に店の奥へ消えていった。

息子はその背中を見送りながら、やっぱり無理な注文だったのだろうかと考えた。

しばらくすると、奥のほうから声が聞こえてきた。

先ほどの店員の声だった。

どうやら電話をかけているらしい。

客席が静かだったせいか、その声は息子たちのテーブルにまではっきり届いた。

「もしもし、先ほど注文したトムヤムクンなんですけど」

息子は顔を上げた。

店員は少し焦ったような口調で続けた。

「あと何分で配達してもらえますか?」